第1回目渡航の試み
前に述べたように、大安国寺の僧、道航は、宰相・李林甫の兄である李林宗の家つきの僧で彼から、栄叡と普照の帰国と律師を同伴したいという希望を聞いて、李林宗は日本の僧たちが「天台山へ行くのだ」という趣旨で揚州の役人である李湊あて手紙を書いてくれた。
李林宗の手紙に基づいて、船を造られ食料等の準備も進んだ。鑑真、栄叡と普照らは、一緒に既済寺にいて、乾燥させた食料の準備をしていた。出国に厳しい官憲に注意して周りには「お供え物をもって天台山の国清寺に行き、衆僧に供養するのだ」と言っていた。台洲、温洲、明州の海は海賊が航路をふさいでいた。
思いがけないことが起こった。弟子の如海が、港の役人へ訴え出た。「道航という僧が船をつくって海賊と脈を通じて居ます。また、乾燥させた食料を準備しており、海賊が侵入してきます」と偽の密告をしたため、役人は驚き如海をとりあえず牢屋に入れて取り調べるとともに、日本僧たちはつかまり、鑑真は留め置かれた。実は道航が「今回は真の戒律を伝えるためで一行は全て有徳有能な人ばかりだ。高麗僧如海は学行とぼしい、一緒につれていくのは見合わせるべきでは」というのを聞いて、如海は自分ひとりが渡航から除外されると思ったのだ。
道航も捕らえられ尋問されるが、「私は李林宗家の僧であり、天台山に行くところで、李林宗からの手紙もあります」と答えた。手紙も見つかったが、「今は海賊が盛んに出没しているから、海をいってはならぬ」と船は没収された。
船を造ったことが問題にされ中央に報告され、その後、勅が下った。「その僧らは外国人で、わが国に来て学問をしていた。毎年、絹二十五疋を下賜され、四季に時服という衣服も支給されていた、皇帝の駕に随行も許されておる。偽物ではない。今、国に帰らんと欲する。意のままに放ち還せ。宜しく揚州の例によって送還すべし」この勅の内容は宰相・李林甫の力によるものであろ
4月に投獄された者たちは8月放免。なお誣告した如海は杖じょうで60回打たれ、還俗させられ本籍地に送還された。また、玄朗と玄法は日本に帰るための方法を他に探すため、ここで別れた。宰相・李林甫の力を引き出した道航も嫌気がさして長安へ帰ってしまった。