講堂
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唐招提寺の金堂の特徴として、もう一つ、多くの寺では金堂が中心であるのに対し、唐招提寺では講堂が非常に重要で、金堂より先に建てられたということです。
講堂(国宝)は平城宮の東朝集殿が760年、平城宮の改修に伴って移築改造され、鑑真の在世中、最も早く建立されました。
鑑真来日の目的は日本で戒律を広めることが目的であり、そのためには正式な僧侶になるための戒律を授ける戒壇の整備と、さらに戒律をうけた僧の修行・教育が定められており、講義などを行う講堂がはじめから必要・重要であったのです。
講堂の本尊は重要文化財で鎌倉時代造立の弥勒仏坐像 木造 漆箔造りですが、この仏像は三代目です。当初は鑑真に随行してきた、軍法力(ぐんぽうりき)が作った丈六弥勒三尊像、2代目は11世紀初めの記録にある金銅の弥勒三尊像と考えられています。この他に持国天・増長天立像が安置されています。木造ひのき一木造、 奈良時代8世紀 持国天132.5cm増長天128.2cm。唐風の造りであるとされます。次に説明する新宝蔵が作られる前には講堂に多くの奈良時代の仏像が安置されていました。